日本の国技大相撲
相撲の歴史
日本の国技として、世界的にも有名な「相撲」。そのルーツは古代にまで遡り、古事記にその記録が見られます。神様同士の争いで、腕を取って放り投げようしたのが相撲の始まりだそうです。
人間同士の最古の相撲は紀元前に行われており、現代とルールや趣旨が異なった武術としての側面が強かった様です。以後は時の権力者が主宰した力士の力比べや宮中行事、神社の祭事で行われる神事相撲が行われていきます。
現代の大相撲の形となったのは江戸時代以降で、庶民の娯楽として興行色が強くなりスター力士も誕生し黄金期を迎えます。また、興行開催の定場所に両国となったのも同時期で、相撲の聖地である国技館はこの場所に作られました。
大相撲の番付とは
番付とは相撲を取る力士の順位のことで、大きく関取と力士養成員に分けられます。関取は幕内と十両までの者を指し、定員60名のエリートです。更にこの中で上位の42名を幕内と呼び、テレビなどで見かけるのは主にこの幕内の取組(試合)です。
横綱を除く力士達は年6回行われる本場所(公式大会)の成績を基に序列を付けられ、特に優秀な成績を残した上位力士は「三役(上から大関・関脇・小結)」という役職を与えられます。この三役は成績を落とせば「陥落(役職を外れる)」してしまう事もあり、当落線の状態で本場所を迎えることを「角番」と言います。また、横綱は絶対的な存在であり「陥落」は無く、成績が奮わなければ進退を問われます。
ここまでで、大まかな大相撲の仕組みや概要はご理解頂けたのではないでしょうか?今日の連載は大相撲で栄光と挫折を味わい、奇跡的な復活を遂げた力士のお話です。
本日の主役は、大関を経験しながらも序二段まで番付けを落とし、21場所振りに大関に返り咲いた照ノ富士(てるのふじ)関です!
照ノ富士春雄という男
モンゴルのウランバートルで生まれ育った照ノ富士は、恵まれた体格をもちながらも17歳までスポーツ経験は特になく。彼の資質を見出した、横綱・白鵬の実父の勧めで柔道などを習っていました。日本へ観光に来た際、偶然に相撲部屋の見学をしたことで相撲に興味を持つ様になります。
学業もかなり優秀だった照ノ富士は、飛び級で大学入学の道もあったそうです。しかし自分の体を活かしたいと考えていた照ノ富士は、日本への相撲留学を決意し来日。インターハイ団体戦優勝などの結果を残し、間垣部屋に入門して角界(相撲業界)入りしました。
入門からのサクセスストーリー
入門後順調に出世を続けた照ノ富士(入門当初は若三勝)は2013年に伊勢ケ濱部屋へ移籍。その直後に関取である十両に昇進して四股名(しこな、力士としての名前)も改めます。以後も勝ち星を重ね、1年で幕内入り。2015年の初場所では三賞の一つ敢闘賞を初受賞。次の場所では小結を通り越し一気に関脇に番付され、初めて「三役」となります。
大関に昇進
関脇となって2場所連続で10勝以上を挙げ、特に5月場所は幕内最高優勝を果たし一気に大関へと駆けのぼりました。初三役に番付されわずか2場所での大関昇進は、現行の年間6場所制以降では初。旧制度からでも54年振りの快挙となりました。翌場所も新大関として11勝をあげ、親方衆からも称賛を集める結果を残しました。
満身創痍の挫折
ここまでが照ノ富士の最初のピークでした。翌場所の取組中に膝に怪我をおい、以降は怪我と戦いながらの土俵で角番を幾度も経験します。怪我の状態次第で好不調を繰り返し休場も経験。膝が曲げられないなど、日常生活にも支障を来たすこともしばしばでした。そして2年以上守ってきた大関から陥落。
さらに糖尿病を患うなど満身創痍で、まともに稽古も出来ない状態が続きました。身体の状態は一向に上向かず、さらにC型肝炎の治療なども重なり気持ちも切れてしまう様な事態となります。番付けは序二段にまで転落し、大関経験者としては記録にない陥落を経験しました。
奇跡の復活劇・師匠との絆
当時の照ノ富士は心身が弱り切ってしまい、幾度となく師匠・伊勢ヶ濱親方に引退の意向を伝えていたと言います。その度に親方に諭されていたと部屋の関係者が証言しています。照ノ富士の年齢が若いことや、体の状態さえ普通であれば、まだまだやれる、と2人とも考えていたことでギリギリで繋がった力士生命でした。
そして2019年。復帰を諦める事なく続けた地道なウォーキングやウエイトトレーニングが身を結び、少しづつ体調は上向き2年振りの勝ち越しを決めます。そして11月場所の前には1年振りに稽古で相撲を取るまでに回復し、復活への機運が高まります。番付けも関取の十両まで再昇進しました。
体調さえまともなら
この言葉通りに一気に上昇曲線を描いた照ノ富士は、2020年早々に幕内へ復帰。7月には幕内最高優勝を飾ります!三役経験者が関取以下まで陥落し、更に再入幕しての幕内総合優勝は史上初の快挙でした。この後は、以前は通過してきた三役の小結に初昇進し、順当に関脇へと昇進していきます。
大関に再昇進
そして照ノ富士は、先日行われた三月場所で4場所振りの優勝を飾ります。と同時に、大関昇進の目安となる”直近3場所で33勝以上”の条件も満たし、文句なしの大関再昇進を決めました。
一時は横綱候補筆頭。一時は引退も噂される過去の人。そして今は不屈の精神と努力で復活を遂げた大関。
ここまでドラマ性に富み、濃密な相撲人生を経験した力士は他には居ないでしょう。その舞台裏では本人は勿論、親方をはじめとした関係者の配慮、努力があったことは言うまでもありません。
鶴竜が引退し、横綱は白鵬ただ一人となった大相撲。唯一の横綱も怪我や年齢もあり、近年はベストのパフォーマンスを発揮し難い状態ではないかと感じます。照ノ富士の物語の続きは、横綱昇進という形で見せて欲しいと思う、筆者です。