シーザリオが死亡
2021年2月27日ノーザンファームから、2005年のオークス馬シーザリオが死亡したとの発表がありました。死因は子宮周囲の動脈断裂による出血性ショックとの事です。
若かりし福永騎手を背に、米国へ遠征し勝利を得た同馬。最近のファンの方には母馬としてのイメージの方が強いかもしれませんね。今週の連載はシーザリオについて、書いてみようと思います。
出典:JRA公式HP 2005年オークスのゴール。
競走馬としてのシーザリオ
2002年3月31日に北海道勇払郡安平町のノーザンファームで生を受けたシーザリオ。父は武豊に初のダービータイトルをもたらしたスペシャルウィーク、そして母は英国生まれのプリミエール。生まれた当初より、濡れた様な青毛の馬体が美しい馬だったそうです。
ただ、生まれつき種子骨(しゅしこつ。指の付け根にあたる骨。)に隙間が多く、足元には不安のある馬でした。その影響で入厩(にゅうきゅう。調教厩舎へ入ること。)も2歳の11月と遅れています。競走馬名には筋肉質かつ美しい馬体から、シェークスピアの十二夜、主人公のヴァイオラの男装名より、シーザリオと決まりました。(英語圏の発音はシザーリオ)
栗東・角居厩舎に入厩後、2004年12月にデビューを迎えると、福永祐一を背に3連勝で重賞フラワーカップ(G3)を制覇。桜花賞(G1)へと向かいます。
出典:JRA公式HP 桜花賞のゴール前。写真奥、青帽の騎乗馬がシーザリオ。
この桜花賞では鞍上(あんじょう。騎乗者。)が地方競馬の吉田稔に乗り替わり、それまで手綱を勤めた福永騎手は先約のあったラインクラフトに騎乗しました。結果はラインクラフトが優勝し、シーザリオは直線で外から猛烈に追い上げたものの、アタマ差の2着と敗れてしまいました。
オークスで初の戴冠
出典:JRA公式HP オークスのゴールシーン。着差以上の圧勝を飾る。
桜花賞を勝利したラインクラフトが(当時としては画期的な)短距離専念のためにNHKマイルカップへと向かい、オークスの鞍上には再び福永騎手が戻って来ることに。桜花賞をスポット参戦の騎手に依頼した事も併せて、先約優先で義理堅い福永騎手のことをよく知る角居調教師ならではのファインプレーでした。
レースはスタートがいまいちで後方の内に閉じ込められる苦しい展開、しかしシーザリオをよく知る福永騎手は焦らずじっくりと構えてシーザリオをエスコート。最後はきっちりと2着エアメサイアを捉えて初めてのG1タイトルを獲得しました。
米国遠征と引退
国内で初のG1を制し、返す刀で米国遠征を敢行。前年からG1となった、米国のアメリカンオークスへ出走すると5馬身差(公式発表)の大楽勝!7馬身はあった様な気が…したり、しなかったり。招待レースでもあり、他の出走馬への配慮かな。
衝撃的なレース振りに大興奮の実況は「ジャパニーズ、スッパスター!シザーリオ!」と絶叫する程の勝ちっぷり。後年レースの行われたサンタアニタ競馬場で”シーザリオステークス”というレースが作られる程のパフォーマンスでした。
しかしながら、好事魔多しとはよく言ったもので。帰国後に右前外側繋靭帯炎(みぎまえがいそくけいじんたいえん。右前足の足首の筋肉の炎症。)を発症していることが判明。長期の休養に入り、翌年から復帰へ向け調教を再開したものの故障を再発して引退が決定。2006年4月19日に競走馬登録を抹消されました。
引退後、繁殖牝馬として大活躍
引退後は故郷のノーザンファームへ戻り、繁殖馬としての生活に入ったシーザリオ。通算6戦5勝、海外遠征でも楽勝と、大きな期待を背負っての繁殖入りでした。期待に違わず、母となって更に凄みを増して驚異的な成績を残しています。
母として12頭の子を生み、10頭が競走馬としてデビューを果たしています。内9頭が勝利を挙げ、産駒(さんく。子供のこと)の勝ち上がり率は90%。JRA全馬の平均勝ち上がり率の3倍という超優秀なもので、内容もG1勝馬が3頭と非常に濃いものとなっています。
出典:JRA公式HP ジャパンカップを大楽勝したエピファネイア。
出典:JRA公式HP 朝日杯の覇者リオンディーズ(右)。
出典:JRA公式HP 皐月賞馬サートゥルナーリア(手前12番)。
not only 母 but also 婆
産駒の未勝利に終わってしまった1頭も、母となってG2勝馬のオーソリティを排出しており、種牡馬となったリオンディーズは、産駒のピンクカメハメハが今年のサウジアラビアダービーを制して世界を制圧。
出典:JRA公式HP アルゼンチン共和国杯を制したオーソリティ。
そして何よりエピファネイアは、圧倒的な強さで昨年無敗で牝馬三冠を達成したデアリングタクトの父となりました。
出典:JRA公式HP 牝馬三冠を達成したデアリングタクト。
母としては勿論、祖母に入ってもシーザリオ系の馬達が大活躍し、近代競馬が誇る名牝と言って差し支えないでしょう。ここまで大きな影響力を与える程の馬になるとは、引退当時には露とも思いませんでした。
ここまで活躍するのなら、生まれて来ませんでしたが3年目に交配したウォーエンブレムとの仔を見てみたかった、などなど。シーザリオの可能性に思いを馳せたりもします。
多くの驚きと感動を与え続けてくれたシーザリオ、ありがとう。ゆっくりと休んで下さい。この言葉で締めとさせて頂きます。
出典:JRA公式HP